B・S・DBlog
テキストサイト「B・S・DHouse」のブログです。 日記、小説、読んだ話の感想などもろもろ。 たまに毒呟きもまざったりします。双子座だから精神内に双子の弟がいるんですよ。邪悪な(笑)
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主従関係

この前、文芸フリマではまさんとお会いした時に「紅月さんは音楽と小説が従で、紅月さんが主みたいですねー。普通は逆なんですけど」という趣旨の言葉をいただきました。その時は「あー、だからいつ止めてもいいと思えているのか」と思っていたんですけど、また別の意味が自分の中であったんだなと気づきました。

実はミクシィのほうで気づいたんですが、僕は昨日「恋空」を読んでみました。映画化もしている話題のケータイ小説です。

内容は、僕にとっては酷いなと思うものばかりでした。
展開がご都合というよりも登場人物が嫌いで。その嫌いな言動のせいでどんどん事態が悪くなるのに、思いがあれば!で帳消しにしている感じがして、僕には合いませんでした。
と、そんな感想文を書いたら何人か反応くれて、その中で「あれは小説としては微妙」という意見が。

で、気づいたわけです。

結論から言えば、僕はケータイ小説も小説だと思ってます。
前にもラノベが小説じゃないって言う人いるけど、ならなんなのか? というのを考えて、文字で物語書いてれば小説だという見解を僕は示しました。名作があるなしとか認められるとかじゃなくて。

これは、小説を従に置いているからこう考えるんじゃないかと。

小説を主に持つこと。すなわち「小説」とは描写によって、文字の力で物語を進めるという強い思いをもっている人からすれば、ラノベやケータイ小説が軽すぎるし小説じゃないと言う気持ちも分かります。

でも僕にとっては日本人とアメリカ人がいて、アメリカ人も人でしょう?と言うようにしか見えないんですよね。
小説にこだわってる人がアメリカ人を人じゃないと言う!ってことじゃなくて、小説に対しての視界が僕はそんな感じだということ。
小説とは「文字で物語を綴ること」という考え方なら、ケータイ小説も文字でストーリー書いてることには依存ないはず。文章が稚拙とかはまた別の話題だ。考え方の違いでしかない。

なわけで、僕は文章に対してはそんなに縛られない。じゃあ、何に縛られるのか。縛られるのは物語だ。
つまり僕は「物語」の従なんだろうな。

文章の上手さはある意味二の次。限度はあるけど。
物語が良い。そして文章がよければ更に良い。逆に完結してなければ意味が無い。文章がどんなに美麗だろうと、心に響こうと。


小説分野だけじゃなくて、自分が何に対して主で何に対して従なのかを一度整理するのも良いかもしれないな。それがはっきりすれば、自分が何をすべきかも見えてくるだろし。

そんな感じでした。
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紅月赤哉

  • Author:紅月赤哉
  • 北海道産まったり創作男
    バドミントンと歌を愛し、小説でどんどん書いてみたいと思いつつ実践したりしなかったり。
    詳しくは本館のプロフィール参照。
    面白いネタを提供できるときはなるべく凝ってみようと思います。

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