| リトバス |
現在「リトル・バスターズ!」プレイ中。明日からまた仕事と勉強で終わるから今度のプレイは来週の土日月になりそうだけれど。でも土曜と月曜埋まってますが。
久しぶりにこういうヒロイン落とすゲームをやると勝手が分かりません。とりあえず全員やらないと真のトゥルーエンドにならないということでメインっぽい棗鈴シナリオをやっているはずなんですががが。
なんていうか、今回はヒロインを落とす前に差し挟まれるミニゲームが面白すぎる。そして野々村真人が超絶面白すぎる。今までやってきたこういうゲームだと主人公の親友男子は空気同然だったのですが、今回はこれでもかというくらい食い込んできます。てか、このゲームなんのゲームだっけかと。
もうシナリオはいいからこのまま野球チーム作って卒業でいいよと思った。
とりあえず鈴落とすために頑張ります。
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| ふふ。良かったよかった |
半年くらい行方分からなかったネットで知り合った友人が名前を変えて活動しているようで。 まあ、こっちに連絡こないことは見限られたってことでしょうがw どんな道であれ創作を続けているというのは嬉しいですね。頑張って欲しいです。若い光には。
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| 呟き |
あぁ、前に3000枚分書いたら文章安定するみたいなことあったけど、僕はとりあえず「3000枚分話を書いてみな」と言えばいいんだわな。3000枚一話だろうと10枚を300話、5枚を600話でもいいから。きっとそれくらい書けば人に教わることは激減するんでね?間にはきっといろいろ自問自答するんだろうが、それでも書ききったならきっと先にその人なりの何かがあるよ
執筆時間はかかってしまうもの、という根本をめんどくさがるくらいなら小説は止めたほうがいいよと黒紅月は思うのでした。
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| 芯となるもの |
昨日、クッパさんや寺さんとの創作談義で再確認したこと、というか形にしたもの。 まあ、似たようなこと数年前にも言った気がしますが。
「何のために」創作をするのかってことよりも、じゃあそこまでの過程はどんなんだ、のほうがやっぱり大事だよなと思うわけです。はまさんのブログでもありましたが。
一日が二十四時間。正確には二十三時間と五十何分とかなんでしょうけど、人間全体では大体決まってます。その中で社会人や学生は最低八時間くらい取られますよね。で、やるべきことをしつつその合間で書くわけで。
で、僕の場合は長編を数年単位で書いてる。昔は出来た平行執筆も中々出来なくなった。だからそこには「他の長編作品を書きたいけど我慢する」ということがある。 あと自分の性格が書いたら発表せずにはいられないので、一度書き終えてからアップするというのが出来ず、毎日書いていって週にいっぺん更新する。 また、今の長編なら自分が書きたいバドミントンのことだ。でもバドミントンの小説なんて市販の話で見たことない。そもそもスポーツ自体の描写をメインにしている小説を読んだことがない。バッテリーは主人公の成長メインだしね。そういう未知の分野だけど、書きたいから書いている。
自分がどういう人間かということ。自分が何を出来て、何が出来ないかを知って、それを執筆に反映させている。
これは無論のこと一長一短なんですよ。 例えば長所は毎週サイト更新していること。 短所はクオリティの保証ができないこと。バド小説でしかも1000枚超えなんて誰も読まないかもしれないこと。
短所のほうが多分探したら多い。 でもね、それが僕が選んだ道なんですよ。自分の欲求を満たすため、ここではバドミントンの小説を中学校三年間を通して書きたい!一人のプレイヤーが成長する様を書きたいと思ったから書いている。省略しないで三年間を書こうとしたら2000枚超えちゃいます。良く書けますね、じゃなくて書こうとしたらそうなったから書いているに過ぎない。書けるんじゃなくて、これから書くんです。 その中で出てくる短所というのはもうしょうがないんですよ。内容についてなら書きながら修正していくことは勿論出来るでしょう。でも長いから読んでもらえないことに関しては「仕方がない」しかないんです。気持ちは十分分かります。でも「自分が選んだ」んだから、仕方がない。
必要なのは、今の自分の執筆スタンスに責任を持つことだと思います。
たくさん書きたいんです。でも一つの作品を集中的に書いてみたいんです。どっちがいいですか? じゃないんです。
どっちもいいんです。あとはお前はどっちがしたいんだと。
どっちもしたいんです! というのなら時間を増やすことを考えればいい。一時間に書ける枚数を二倍にする方法を編み出せば書けるかもしれないし、睡眠時間を削れば両方する時間が増えるかもしれない。
時間がないと嘆くなら時間を増やす努力か、したいことを切り捨てる努力をすべきですよね。だってこれは仕事でもなんでもない。プロになるまでは趣味の一巻でしかない。日々のやるべきことの合間にするしかないのだから。
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| 色々楽しめました |
今日はLinuxの資格試験を受けにいって無事に受かり、夜はクッパさんと寺さんと三人で飲んできました。 クッパさんはほんと、創作に対して真摯だなぁと思います。前に会った時もそうだったけど。創作の話はしていてなかなか楽しかった。
そして寺さんからは「リトル・バスターズ!」を借りてちょっとだけプレイ。あのOPの入り方とか好き。そして日常に挟まれるギャグが楽しすぎる。ラノベはキャラクター小説と言われてるけどあれくらいの面白さをかもし出している人らはそうそういない気がします。
一人だけクリアして終わらせようと思ったら、全員終わらせないと最終章いけないというAIR(そしてクラナドもそうなんだろう)から続いてるようなことらしい。とりあえず全員コンプリートするよう頑張ろうか。 明日一日やるという選択肢もあるけれど、ちょっと掌編とか頑張って書いてみようと思ってます。髪も切りにいったり。
そして試験に受かったので本をいくつか買ってみる。
いのちはなぜ大切なのか(ちくまプリマー新書) インターネットは誰のものか(日経BP社) 多世界宇宙の探検(日経BP社) 民営化で誰が得をするのか(平凡社新書)
ノベルにも手を出そうとしたんですが、結局惹かれるものもなく。とりあえず頭使って読んでいきます。
で「いのちはなぜ大切なのか」を電車で帰ってる間に読み終えました。最近の青少年が人殺すことにたいして「いのちの大切さを教えねば!」と言われてるけど、それって正しいの?とホスピスで働いている医者さんがそこらへんの観点で書いてます。
あーなるほどなというか、教育現場の人らが気づかないことを医者の人は見ているなと素直に思えました。この人が書いている内容にも「一つのことを別の側面から見てみる」みたいなことがあって、この人自身が今「いのち」の教育をしていこう!と言っている人とは別の視点で見ているということで体現している。
この人は人を殺すのは「苦しいから」と言った。自分の理想通りには行かず、それを受け流そうにも自分だけの力では無理で、助けてくれる人もいないしと悪条件が重なって罪なことをしてしまう。それは教育とかそういうことじゃない。与えられているかどうかだ。
読んでいて思ったのは、結局誰かが「こうだからいのちは大切だ」って言葉で説明しなければいけない時点で何となくずれているんじゃないかってこと。大切な物を手に入れている人はそう簡単に傷つけたりしない。人の一生を奪うことほどの傷はつけないんだろうなってこと。
つまりは先に感覚的に「いのちは大切だな。大切じゃないとしても人を傷つけるのはまずいよな」ってものがあって。その後に理論武装するのが通常の形なんじゃないかと。理論武装を急ぐあまり、外から埋めても中が変わらないなら人の行動は変わらないんじゃないか。
でまあ、その感覚は生まれたときから今まで生きてきたことの中で生まれるものだから、もしいのちは大切だでもなんでもようは人を殺さないようにと教育するならばその人生の中で足りないものを個別に与えるしかないんじゃないか。だからこそ綺麗な話だけじゃなくて泥臭い話も必要だと思うんだなぁ。
たまに「誰でも良かった」という犯人がいる。その人も、何かが苦しくて、耐えられないから傷つけることに走ったのかもしれない。でも報道ではそれ以上は言わないから、僕らは「そんなアホ死ねばいい」とか思ったりする。
うーん、上手くまとまらない書き方だ。
結論としては作者が最後に書いてる「答えがはっきりと出ないことは考え続けなければいけない。でも決め付けてはいけない」ということなんだろう。それは「いのちは大切だ!」ということさえもだ。いのちは別に大切じゃないよって人を認めて、それでもその人らが命を簡単に奪わないようにと模索していくことこそ大事なんだろう。
読んでいろいろ考えますね。買った本一通り読んだらまた読んでみようと思います。もう少し深く読めるかもしれないし。
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