| 設定に関する疑問と自分なりの思考 |
最近ちらほらと目にするようになったのは(過去からあったんでしょうけど)「登場人物に天才は面白くない」って意見。
人によって「タブー」とか「あまりいれないほうがいい」って差はあるけれど、総じて見られるのが「小説界ではそういうことになってます」とグローバルスタンダードとして語っていること。
……?
人によっては「天才が小説の中で物事解決しても面白くもなんともないっすよ。面白いと思う人いないっす」という人までいて。
じゃあ、完璧な人間、天才な人間が物事を解決するのが面白い僕は人じゃないのかなーとか、書いた人はそういう話が面白いと思ったから書いたんじゃないの?なら、その書いた人も人じゃないの? と思ってしまうわけで。
自分もそうだし、他人でもそこまでの人はいないから、天才やパーフェクトマンの存在に僕は憧れるし、かっこいいとも思う。 そう思うのは人じゃないの? とまあ、ちらほら見る発言の度にさりげなく人格否定されるわけで、言葉の使い方って大事だよなと反面教師となるわけです。
僕の基本姿勢の一つに「小説は現実で無理なことを描くもの」ということがあるので、現実に天才とか完璧とか言う人がいない、あるいはほとんどいない状況だからこそ小説で描く価値はあると思うんですけどね。
別に天才が苦手とかつまらないって人を否定はしないんですが、例のごとく自分の思考=小説界の常識って感じで語られるのは好きじゃないなー。まあ、そんな個人的な趣向は別として。
完璧、天才な人間は努力しないから対した盛り上げもできないし、だから面白くないということだったら納得いくんですけどね。 でもそれって結局「魅せ方(見せ方じゃなくて)」の問題であって「天才だから、完璧だから」受け入れられないってことじゃないんだよな。
多分、創作支援サイトとかで語られてるかもしれないよね、天才を読者は受け入れがたいって。それを見て個人は天才=小説で書いちゃ駄目って思うのかもしれない。
でもそれは違う。描いちゃいけないネタって多分ない。 夢落ちだろうがなんだろうが、タブーなんてないんだよな。ただ、それが「受け入れられる書き方」をしているか、とか「描いたことに責任を持てるか」とかで描ける範囲ってのが決まってくると思う。 重さを受け入れられるなら宗教ネタだろうが北朝鮮ネタだろうが従軍慰安婦ネタだろうが書いていいと思うよ。僕は重さに耐え切れないから知識を集める労力も割けないので書けない。
もしそういうので批評する人がいるならば、天才という要素が駄目なんじゃなくて、天才を読者が受け入れられるように書けない実力不足を攻めるべきだと思う。 もし先に書いたように「面白いって思う人いないですよ」とか言ったらともすれば作者の嗜好否定になる。それはやっぱり、書き手としても読み手としても、人間としてもしてはいけないことだと思う。
必要だから自分が嫌いなキャラを書くというのはもちろんありえる。でも、大半はそうじゃないから書けると思うんだよね。自分の嫌いなキャラを描くのって凄い大変だ。 ネット上で創作している人だと、そこまで嫌いなキャラに書く労力を使える人はいないんじゃないだろうか。
ぱらぱら書いたけど。
・天才が駄目なんじゃなくて魅せ方の問題だろう
ていうのが個人的思考ってことで。
ちなみに天才とは違うかもしれないけど幽遊白書の飛影とかはバトルの天才肌ですよね。そもそも負けない。弱点がない。負ける気もしない。 でも人気投票じゃずっと一位だったしね。あれは読者に受け入れられたからでしょう。あれも強さという面もあるだろうけど妹思いのギャップとかにほれた人もいるだろうし。
やっぱり魅せ方ですね。
ちなみに僕は天才が軽々と問題を超えるのを見たら「すげー」とか爽快感がありますね。自分がなかなか打ち破れない壁を軽々と壊すこと。それは現実では難しいことだからこそ魅力があるように映る。
ま、いろいろな嗜好の人がいるわけで、その領域に踏み込んで「面白い人いないですよ」とかいうのは駄目だよなってことで。
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